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円周率暗唱の達人列伝 & 円周率計算の虜になった数学者 
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円周率暗唱の達人列伝 & 円周率計算の虜になった数学者

 
 ある種の人たちにとって、円周率には不思議な魅力があったようで、古来、多くの数学者がその計算に一生を捧げてきました(後述=円周率計算の歴史)。今ではスーパーコンピューターが1兆ケタをはるかに超える円周率を難なく計算してしまいますから、その魅力は失せてしまいましたが、円周率にはもう一つの魅力がありました。それは円周率暗唱の世界です。

 円周率をお経のように唱えるのでは、普通の人は100ケタ覚えるだけで疲れてしまいます。機械的な記憶力に優れた粘り強い人なら、その5倍の500ケタくらいは覚えられるかもしれません(でも、どこかで混線しそうですね)。ところが、数字をいったん言葉に変換して覚える記憶術なら、だれでも機械的な「単純記憶の壁」を軽々と超えることができるのです。

円周率暗唱バトルと友寄英哲の偉業

 1978年、カナダの17歳の少年が円周率を8,750ケタ覚えることに成功しました。このことが日本のある中年サラリーマンの人生を変えることになったのです。

 その男の名は友寄英哲(当時46歳/敬称略・以下同様)。彼の著書「脳を鍛える記憶術」(主婦の友社刊)によれば、彼はその記録を知って、「これなら自分にもできる」と挑戦を決意したそうです。そして8か月後には、円周率1万5151ケタの暗唱に成功してしまったのです。その前の実績が30歳の時の1,000ケタですから、飛躍的な記録の伸びです。

 しかし、その直後にイギリスのクレイトン・カーべロ(34歳)が、1万5186ケタという僅差で記録を塗り替えてしまいます。

 友寄も負けてはいません。3か月後の1979年10月に2万ケタを達成。しかし、これもカーベロが翌年に、2万0013ケタという僅差で破ってしまいました。どうもカーベロという人の記録には余力が感じられず、気持ちのよい勝ち方ではありませんね。

 案の定、1年後の1981年、インドにR・S・マハディアン(23歳)という人が現れ、あっさり3万1811ケタと大台に乗せてしまいます。

 1987年3月、54歳になった友寄は満を持して、円周率4万ケタの暗唱を成功させました。この時にかかった時間は何と17時間21分。頭だけでなく体力も消耗する戦いでした。この記録はギネスブックの1988年版に記載され、8年間も王座を守ったのです。

 友寄英哲の4万ケタを破ったのは、日本の若者、後藤裕之(21歳)でした。彼は9時間かけて4万2195ケタの暗唱に成功しました。その時、すでに定年退職していた友寄は、62歳にして円周率5万ケタ暗唱のトレーニングを開始したのです。しかし、若者の記録を破ったのは彼ではなく、別の中年男性でした。

原口證、奇跡の10万ケタ暗唱でバトル終結

 2004年、原口證(58歳)という人が突如現れて、友寄の目標を上回る5万4000ケタという世界記録を樹立して、ギネスに登録されました。このときにかかった時間は8時間40分。計算上は1分間に104ケタのペースで復唱したことになり、恐るべきスピードです。

 原口の記録はしばらく破られないだろうと、誰もが思っていた矢先、何と原口本人がその翌年に、8万3431ケタという驚異的な数字で記録を更新してしまいました。ついこの間まで5万ケタを目指して特訓を重ねていた友寄をはじめ、世界の円周率暗唱の達人は、この数字を見て戦意喪失したに違いありません。しかし、原口のひとり舞台はさらに続き、2006年、まさにミラクルとしか言いようのない10万ケタ暗唱を達成したのです。これで円周率暗唱バトルは事実上、終結したと見てよいでしょう。

 それにしても、世界記録を作った時の年齢が、友寄54歳(4万ケタ)、原口58歳(最初の世界記録達成時)というのは、世間一般の記憶に関しての常識をはるかに超えています。不屈のチャレンジ精神があれば、年齢は関係ないということの証しかもしれませんね。それと共に、記憶術の達人である二人が、数字記憶術に関しては円周率暗唱に特化した独自の方法に発展させたことも、偉業達成に不可欠のものでした。
  (友寄氏と原口氏の敬称は略させていただきました)

 円周率計算の歴史―古代人からスパコンまで

 人間は円周率(π=パイ)のことをいつ知ったのでしょうか? 少なくとも紀元前2千年頃のバビロニア人はすでに円周率のことを知っていて、その値を 1/8(3.125)としていました。0.5%強程度の誤差は、実用的にはさほど問題がなかったのかもしれません。ちなみにバビロニア数学ではすでに小数の概念があったようですが、十進法ではなく六十進法でした。

 ところで日本では2000年の指導要領で、小学5年では少数の計算を1ケタまでとし、円周率は3または3.1とするということが発表され、各方面から批判が出ました。古代バビロニア人よりも認識が後退するのでは、「ゆとり教育」の一環とはいえ、これを教育といえるのかどうか…。さすがにその後、見直されました。

 さて、円周率の計算は複雑で、数学の発展とともに様々な計算法が生まれてきました。日本では鎖国時代の1681年に、関孝和和算小数点以下11ケタまで計算しましたが、同じ頃の西洋では100ケタ以上が計算されていました。これは17世紀に微分積分が発明されていたためで、その後、円周率計算のケタ数は大きく伸びます。1853年にはシャンクスという人がπを527ケタまで正しく計算し、手作業としては敗れない記録を作りました。当時、たかが円周率計算のために一生をささげた数学者が少なからずいたようです。

 1947年、フェルグソン卓上計算機を使って710ケタを記録した後は、コンピュータの時代に入ります。1949年、リトワイズナーらがENIACという電子計算機を使って、初めてケタ数を大台に乗せ、2037ケタまで計算しました。この後、円周率はコンピュータの性能を競うために使われるようになりました。それほどまでにπの計算は複雑なのです。

 1973年、コンピュータは100万ケタの計算に成功し、1989年にはついに10億ケタを突破しました。コンピュータがハード、ソフトともに飛躍的に発展した結果、やがて誰もが自宅でパソコンを使える時代に突入したのです。

 そして、2002年には東京大学の金田安正教授が、日立のスーパーコンピュータ・システムを使って、世界で初めて1兆ケタを超える記録(約1兆2400万ケタ)を樹立しました。この瞬間、円周率はコンピュータの計算能力性能を表わす尺度としては、その役割を終えたともいえます。

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