明治に花開いた
記憶術の伝道者と「創始者」たち
空前絶後の記憶術ブームが明治時代にあった!
記憶術が一般の人たちに知られるようになったのは、明治20年代に入ってからでしょう。岩井洋著「記憶術のススメ」(青弓社刊)によれば、明治20年代に「記憶法」(田中周平・明治20年8月)から「和田守記憶法講義」(和田守菊次郎・明治29年6月)まで、合計14冊の記憶術に関する本が出版されています。この中には欧米の翻訳本2冊が含まれる他、ギリシャ・ローマの流れを汲むイメージや連想を利用した記憶術とは異なるものも含まれていますが、これほど多くの記憶術本が集中して出版されたことは後にも先にもなく、空前絶後のブームといってよい現象があったようです。
和田守の記憶術実演
当時の記憶術本を書いた著者の一人に和田守菊次郎という人がいましたが、彼は本の出版の前に帝国ホテルに人を集め、記憶術の大実演を行いました。100人の人に単語を自由に書いてもらい、それを読み上げてもらって、すべてを間違いなく覚えることに成功したのです。そのパフォーマンスは新聞に報道され、和田守の名は一晩で世に広まることになりました。和田守式の記憶術がギリシャ・ローマの記憶術と同じものだったということはすでに述べましたが、英単語記憶術についても岩井氏の本に記されているので紹介しておきます。
・Water(ウォーター) 魚多 →水
・Cold (コールド) 凍土 →寒い
語呂合わせの手法を使っていますが、語呂合わせは日本語だけのものではありません。欧州の古い文献にはラテン語の語呂合わせの例も載っていますし、外国語を覚えるのに自国語をもじって覚える手法は、もともと欧米では一般的だったようです。たとえば、「ありがとう」を“alligater”と覚えるような要領です。
なお、明治20年代には当時、妖怪博士として有名だった井上円了博士も明治27年に「記憶術講義」という本を出版しています。円了博士の研究はワタナベ式に影響を与えたという意味で、記憶術の歴史では重要ですが、それは次のページで…。
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