キケロの記憶術
古代ローマに花開いた弁論術
ギリシャからローマへ無名の青年が記した一冊の本
記憶術を発明した古代ギリシャ人は、その英知を伝える書物を一冊も遺しませんでしたが、紀元前85年頃、ある無名の青年がギリシャの記憶術をラテン世界にもたらしました。彼の著した「ヘレニウム宛修辞学」という名の本は、当時のギリシャ人の記憶術を忠実に記録したものだとされれています。そしてその本は、記憶術の歴史において最も重要なローマの偉人、キケロを生むことになります。
超人キケロの弁論術と記憶術
ローマの偉大な政治家にして、哲学者、弁論家でもあったキケロ(紀元前106~43年)は、「弁論家について」という本によって、ギリシャ人の記憶術を広くラテン世界に伝えました。彼の名を後世に残したのはそのことだけでなく、記憶の超人として世に名を轟かせていたからです。当時の演説は、どこかの国の政治家のように草稿を読み上げるようなことは禁じられていたようで、長時間の演説には記憶術が欠かせなかったのかもしれません。記憶術の本が「弁論家について」という奇妙なタイトルになっているのがその証拠です。
ところで、キケロはその本の中で、「記憶力は生まれつきのものではなく、記憶トレーニングによって改善しうる」と述べているそうです。記憶術という道具を知り、その使い方に習熟することによって、誰でも「記憶の超人」とまではいかなくても、「記憶の達人」にはなれるということでしょう。
クィンティリアヌスとローマンルーム法
ひとたび、すぐれた書物が生まれると、師匠から弟子へと伝承されてきた技術が途絶えたとしても、離れた地域から時間を超えて、いつか技術が甦ります。記憶術には時代により流行り廃りがありますが、書籍が遺されることによって、技術が途絶えずに発展してきたと考えられます。その意味で、「一子相伝の壁」を打ち破って記憶術の発展の礎を築いたのは、無名のローマ人青年とキケロ、クィンティリアヌスの功績といえるでしょう。
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