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記憶術ルネッサンス/西洋記憶術の盛衰 
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記憶術ルネッサンス/西洋記憶術の盛衰

 

中世―布教活動に記憶術を利用。本来の目的を失なう

 記憶術は古代ギリシャからローマ帝国へと伝えられて発展し、書籍に乗ってヨーロッパ各地に広まりました。その後、記憶術に関する記述はあまり歴史に登場しませんが、中世のスコラ哲学者たちが、宗教や倫理学を教えるために記憶術を利用したということが記録に残っています。

 当時の宗教家たちは、記憶術が利用する視覚的なイメージの豊富さや比喩的な部分に注目し、天国や地獄について生々しく表現したのです。記憶術をこのような方法で布教に利用したため、記憶術は大量の情報を短時間で確実に覚えるという本来の目的から外れ、神秘のベールに包まれることになります。やがて記憶術は「悪魔の所業」とみなされるようになってしまいました。

「記憶劇場」とローマンルーム法の復活

 ルネッサンスは、14~16世紀にイタリアを中心に起こった西欧の文化復興運動のことですが、記憶術もまた古代文化の再生という流れの中で脚光を浴びることになります。

 当時のイタリアでは、ジューリオ・カミッロ(1480~1544年)やジョルダーノ・ブルーノ(1548~1600年)といった記憶学者が登場し、記憶術を本来の目的に戻そうとしました。

 彼らは古代ギリシャのプラトンの思想に基づき、「記憶というものによって神の意思を理解し、自然の秩序を解明することができる」と考えました。現代では単に「便利な知的技術」に過ぎない記憶術に対して、プラトンの哲学を持ち出すところがルネッサンスらしいところですが、中味はギリシャ、ローマの記憶術の忠実な再現です。

 中でもカミッロはユニークで、「記憶劇場」と名づけた建築物まで作ってしまいました。この記憶劇場の中には、観客席に神々の彫像がたくさん置かれ、壇上からはっきりと見えるようになっていました。演説を行う人は、その彫像(神々のイメージ)や円柱、調度品などの一つ一つに順番に話す内容を結びつけて覚えるという仕掛けです。

 これはローマ時代の弁論家が用いた手法=ローマンルーム法そのものであり、記憶術のために「劇場」の彫像や家具調度品を配置するという、奇想天外な逆転の発想で記憶術の復活を図ったのです。

「記憶は機械的な繰り返し学習…」の考えによって
衰退した記憶術

 西洋では近世になると自然科学が急速に発達しました。西洋の合理主義は物質と精神を厳格に分けていましたから、記憶術のようにあいまいな領域にとって科学の進歩は逆に不利に働きました。

 記憶術は、人間の持っている想像力や連想力、創造的技術を駆使したストーリー作りなどを利用するものですから、当時の科学の考えになじまず、記憶術的な考え方は否定されました。

 「知識は機械的な暗記の繰り返し作業によって得られるものだ」ということが「常識」とされ、教育は丸暗記することが中心になりました。知識と才能が区別されるようになり、もはや知識が神聖なものではなくなったことも、記憶術の衰退に拍車をかけました。

     ◇          ◇          ◇

 ヨーロッパでは近代になってからも、聖書を覚えるために記憶術を利用するなど、一部の人々の間で脈々と生き続けてきました。そして、1992年、英国のトニー・ブザンらが中心になって開かれた「記憶力世界選手権」によって、記憶術は再び脚光を浴びることとなりました。その大会で行なわれる記憶に関する10種目の競技は、記憶術の驚異的な能力を世界に知らしめることとなりました。


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