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俳句、川柳、短歌、エッセイで大脳活性化

言葉や文章で自分を表現して、疲れた脳を解放。表現脳を育てよう

 
 ほとんどの趣味には多かれ少なかれ、自己表現ができるという魅力があります。その中でも、言葉を書くことによって何かを表現する文芸の分野は、紙と筆記用具(あるいはパソコン1台)だけあれば、いつでもどこでもできる最も手軽で、創造性豊かな趣味です。

 しかし、文芸は「高尚な趣味」として敬遠されやすい面もあります。そんな方には強く訴えたいことは、「日本語でコミュニケーションできる人なら、誰でも自分にしかできない文芸作品が書ける」ということです。言葉には意味がありますから、音楽や美術に比べて作者の思いがストレートに伝わります。例えば、自分の気持ちを絵や歌や踊りで表す場合と比べれば、言葉の威力が実感できるでしょう。

 ここでは文芸の中でも、誰もが始めやすい俳句、川柳、短歌、エッセイについて紹介していきます。あなたに向いた言語表現手段を見つけて、「表現脳=前頭葉」を中心に大脳を大いに活性化させてください。

俳句

 俳句は小中学校時代の国語の時間に、だれでも一度は作ったことがあるでしょう。日本語は五七五のリズムがなじみやすく、わずか十七文字の中に自然の情景を織り込みながら、作者の気持ちや思想を表わすことができるという点で、世界に誇る文芸の形式です。

 俳句には季語が必要だとか、字余り、字足らず、季重ね、切れ字など、いろいろな約束事があって面倒に見えますが、現代俳句はかなり自由です。仏教的無常観とか花鳥諷詠といったテーマの束縛もなくなりました。現代的な感性で、日常生活の断面を切り取り、次々と十七文字に表現する俳句作りを気軽に楽しんでみてはいかがでしょう。

川柳

 川柳といえば、サラリーマン川柳がすっかり日本人に定着しました。サラリーマンの小さな悲喜劇は時代を反映しやすく、ニュースになりやすいという面もあります。題材の豊富さや構えなくて済むという気軽さから、同じ五七五でも、俳句よりも川柳のほうが好まれるのかもしれません。これも時代の流れでしょうか。

 川柳をテーマで分ければ、先ほどのサラ川の他に、定年川柳、学園川柳、夫婦川柳、男女川柳、政治川柳、囲碁・将棋川柳など、いくらでも新しいジャンルが広がります。いろいろな主催者が川柳を公募していますから、自分に合ったテーマで投稿してみてはいかがでしょう。

 ところで、川柳は「ユーモアの表現」と思っている方が多いと思いますが、その本質は穿ち(うがち)と軽みだといわれます。穿つとは穴を開けること。つまり、ちょっと気が付きにくいことを鋭く的確に指摘することで、しかもそれをさりげなく軽やかに表現することから、結果的に独特の可笑しみが生まれるのです。まあ、そんな難しいことは知らなくとも、傑作川柳をいくつも味わっているうちに、その感覚が分かってきて、自分でも作ってみたくなるでしょう。

短歌

 短歌は俳句・川柳に比べると、いくらか敷居が高いかもしれません。一世代前までの短歌は文語体が普通でしたから、かなり古典の素養が求められました。しかし、現代短歌は何もかも自由です。カタカナ語や会話体も登場し、川柳かと思えるほどユーモア感覚にあふれた歌も見られます。

 短歌は俳句に比べて、下の句の七七がある分、細やかな感情表現がストレートに表現できます。平安時代の百人一首などにはかなりの割合で男女の恋が歌われていますが、短歌はまさにさまざまな恋の形を、わずか三十一文字の中に赤裸々に表現できる形式なのです。もちろん、若い世代の恋心に限らず、どの世代のどんなテーマであっても、素直で一途な思いを表わすのに向いた詩の形式といえるでしょう。

エッセイ

 日本で一般に言われるエッセイは随筆とほぼ同じ意味で、徒然草の冒頭、「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば…」が、そのまま定義となっています。

 しかし、実際に「つれづれなるままに」文章を書いて作品の形になるかといえば、そう簡単なことではありません。書き出しのテーマまたは体験の提示から、展開、結び(落ち)に至るまでの構成をしっかり考え、リズミカルでむだのない、読みやすい文章に仕上げなくてはなりません。その意味では、ある程度の文章修業が必要になってきます。

 エッセイを書く上でもう一つ大事なことがあります。それは自分が感動した体験をもとに書くということです。どんなに文章がうまくても、内容がつまらなければよほどの義理でもない限り、人は読んでくれないでしょう。どんな些細なことでも、先ほどの川柳の穿ち(うがち)と同じように、読者をなるほどと思わせる何かがなくては、作品として成り立たちません。エッセイでは体験や知識の豊富さと共に、着眼点の非凡さが求められるのです。


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